Здравствуйте! セールスのアンドレです。この挨拶はロシア語でして、正確にはどう発音するのかマスターできておりません。

皆さまには思い出のスイーツ、ありますか?幼き頃に食べた、切なさおかしさと共に蘇る甘い甘い思い出が。

これを読むと、私もあの味を!あの味をもう一度探しに行かなくちゃ!という気にさせられます。さぁ探しましょう。

旅行者の朝食 (文春文庫)
米原 万里
文藝春秋
2004-10


今回取り上げたいのは「トルコ蜜飴の版図」という一節。著者が幼い頃、プラハの小学校で級友からおすそ分けしてもらって食べたという、謎のお菓子、ハルヴァを追い求めるエッセイです。国を超え言語を超え、大人の知力を生かして幻のハルヴァの起源をも探ろうとする、その間にも強まっていく思い出補正により唾液が出すぎて顎が痛い、そんなお話。

さてここからはアンドレの体験談。アンドレは小さき頃(生まれてこのかた老け顔ですが、幼い頃は誰にも等しく存在します)、イギリスの田舎にしばし住んでおりました。当時まだ日本だと幼稚園児でしたが、向こうでは立派な小学生という年だったので、公立の小学校へ転入。初めての思い出は、おやつの時間に出された牛乳が産地直送感たっぷりでいささか香りのきつい、日本で味わったことがないものだったために、しかも残してはいけないという立派なモッタイナイ文化を貫いたがために、転入初日の帰りの会で「さぁサオリの挨拶だよ!」と先生が張り切って紹介してくれるに合わせて立ち上がった途端にその牛乳をリバースしたことです。

違う、リバースの話をしたいんじゃない。その小学校では昼食は全員で食堂に集まり、日本でいう給食係が配膳してくれるような形で、食堂のおばさまたちが待ち構えてくれているところへバットを持って並び、欲しいもの、要らないものを伝えて順によそってもらう、という形式でした。人間は食べることに直結する言葉から覚えますから、自然私がしっかりと自分の意志を伝えるために学んだ最初のフレーズは、”Yes please” と “No thank you” でした。ここ、テストで出ます。

恐らくなのですが、宗教上の理由で食べられないものが子どもによって違うので、そういう形式になっていたんじゃないかなぁと。それを、好きなものだけ食べていいんだ!と勘違いした甘ちゃん幼稚園児な私。偏食の道を突き進みます。

そんな私が大好きだったのが、最後の最後の最後に待ち構えているおばさまがよそってくれる、カスタード。どうやらカスタードはその直前に配膳されるプディングのソースらしいのですが、見た目的にプディングは怖くて口にできなかった私、カスタードソースだけをたっぷりと器の半分ほどもよそってもらうという大技に。食事の最後に食べる頃には程よく表面と縁が固まり、その不思議食感込みでなぜかものすごく美味しく感じたのです。

ふとした時に思い出すチープな甘さと、表面がかぴっと乾いて中がざらふわっとした舌触り。香りは全く贅沢じゃない、むしろ、玉子ですね、というただそれだけの感じ。

ここ最近の「生〇〇」ブームで気づきました。あれは、生プリンに近いものではないかと。たぶん正しい。普段あまり積極的に甘いものを摂取しない私がプリンを良く手にするのには、そんな理由があります。でもね、今日日の日本の生プリン、美味しすぎるの。コンビニで買えるようなプリンでさえ、よくよく冷やされて食感も洗練されている。思い出の中の、生温かさからの冷え切った何とも言えない温度感や、特段ヴァニラの香りが際立つわけでもない無臭感が、味わえない。それは生プリンを生ぬるくなるまで放置したとしても、やはり違う。

成長した後の舌が知る限り正しく「美味しくない」ものが、思い出というこだわりポイントで点数アップしちゃっている場合、どう追い求めたら納得するんでしょうね。でもあのカスタードソースを知らなかったら、この生プリンがとても美味しいという価値観は学べなかったかもしれない。食育とは。

ハルヴァの話を読んで、ここまで思いを馳せたノスタルジックなアンドレです。

それでは皆様、最近の私のおすすめスイーツはプロポリスキャンディだから、健康のためにぜひ舐めてみてくださいね!До свидания!