もふもふ。カスタマーサクセスグループのアンドレです。

皆さん、狸鍋ってご存知ですか?先に聞いておいて申し訳ないのですが、悪いことは言わないので、本書を読む前に検索したりしないことを、まずはお勧めいたします。

「美味しい」とは「食べたい」とは、「好き」だからなのか、「好き」あまっての「憎い」ゆえなのか、あるいは同じ「にくい」でも「難い」から「美味しい」のか考えちゃう、そんな作品。

有頂天家族 (幻冬舎文庫)
森見 登美彦
幻冬舎
2010-08-05


舞台は京都。主人公は愛すべきもふもふの毛玉、狸。師匠は天狗。天狗の元弟子は、麗しき人間の美女。狸と天狗と人間と、たまに蛙が、たまに偽叡山電鉄が、京都の街をてんやわんやと大騒ぎしながら駆け巡る、どんちゃんなファンタジーです。

さて冒頭の狸鍋、大正時代から続く秘密の会合「金曜倶楽部」忘年会の特別メニューです。そこで父狸を鍋にされた、主人公の矢三郎。父を食した天狗の弟子「弁天」と呼ばれる美女を憎みきれず、うっかりちょっと惚れちゃってるもんだから、ややこしい。

なんなら、弁天さんも矢三郎のことを憎からず思っている。私がこの十年来、何度も思い返す彼女のセリフがこちらです。

「食べちゃいたいほど好きなのだもの」

うぅ。なんというか、がっつり体幹の、本能的なところがちりちりして、理解できてしまう。

好きで好きで、なんだかいつまでも同等には報われない気がして、いっそのこといなくなっちゃえばいいのに、と思う。でもいなくなっちゃうと、好きなものが、なくなっちゃう。

数年ごとに弁天さんのセリフを読み返し、彼女の示唆する思いを勝手に想像して、きゅうっと泣いてしまいます。

「私に食べられるあなたが可哀想なの」

……それでも食べちゃうのが、人間のサガよ。好きすぎて愛おしくて食べちゃいたい、食べることが愛情だ、否、やはり愛する特定の対象を食べることはできない、という葛藤に苦しむ登場人物もいたりして、「食べる」を直接的表現としても、比喩としても、考え始めると非常に奥深い。

それでは皆様、くれぐれも興味本位で先に「狸鍋」と検索しないように。もふもふの何かを抱きしめて、お読みくださいね。

余談で、私の実家は山奥にあるため「◯◯さんちの罠にかかった猪」なんかが至って平静なテンションで食卓に出てきたりしますが、さすがに狸は……ないなぁ。よく見かけますけれどもね。